JTBの時刻表を買った話
タイトルのままです。何年ぶりだろう、時刻表を開くのは。最近の移動は、殆ど夫の運転する車でだったので、電車に乗る機会がなかったのだ。
ガタンガタン、ガタンゴトン♪ 電車の音のつもり。
極小目標
助走といえばなんてたってあの(どの?)、筒井康隆さんの『大いなる助走』だ。それは置いといて。
英語関係の勉強法に関する新書、色々買ったなあ。積読状態になっているのも数多、天知茂。TOEICの参考書も同様だ。これは少し古くなってしまったが。
あれこれに手を出してどれもそれも中途半端にするより、一冊を頑張って終わらせる。そう努力します。と毎回宣言してきたような。
『音読で英文法をモノにする本』(アルク)、これについては最後まで終わらせたのだった。なんだ一冊ではあるけれどちゃんと最後まで真面目に勉強したではないか。どのぐらい自分の中に残っているのかは別として。いじいじせずに始めよう、自分よ。
やはり語彙だ。
小目標
折角の連休だったのに、だらだらと過ごしてしまった。近所のマンション建設現場では今日も仕事をしていた。買い物の途中に二か所、やはりマンションの工事現場があるのだが、そこでも人々が働いていた。
正しい(自分なりの)休日の過ごし方とはどういうものか。今は認知症の母も家にいるので、遠出は出来ない。でも、母と同居する前からもあまり出かけることはなかったな。正しいとか、そうでないとかそんな問いにはなじまない性質のものだよな、休日の過ごし方なんていうのは。自分でも何が言いたかったのかわからなくなってきた、いつものことではあるけれど。
今のままで、ぐずぐずいじいじ過ごしていたらきっと大変なことになるなあ。長すぎる春も問題だけれど、長すぎる助走はもっと深刻だ。飛ぶ前に、助走の途中で人生が終わってしまう恐れがあるものな。そういうことを書いている暇があったら、本の一冊ででも読まんかい、自分よ、とまた自分に語りかけてみるのだった。
ということで、TOEICは来年の一月に受けることにした。
単純すぎるのではないか、外科、小児科。
夕べあんなに、カッコー、カッコーと湖畔で泣きわめいていたobasanが、だ。一晩寝たらこの通りだ。絶望的な気持ちになっても、私は今までこうして乗り越えてきたのではなかったか。いや、本当に乗り越えたかどうか、怪しいと言えば怪しいが。
つまり、七割元気という感じですね。
君なら出来る、なんて言葉に踊らされ。という人も少なくない今日この頃だが、って調査したのか、何人が踊らされたのか、いや何となく。
この「なんとなく」というのが案外大事なのだな、と私は思う。
そうだ、お天気も関係しているのだ。奸計。
太田道灌を見習え、ってか。なぜ、いま太田道灌なのか、なんとなく。で、obasanの学習記録はいつ始まるのだ? なんと既に始まっている、驚くべきことに。
冗談ではなく、では下段か、花壇か。とにかく語彙だ。これが貧しくてはどうにもならぬ。語彙、語彙。今年のTOEICはもう諦めた、ならば来年。
過去、恰好、郭公、カッコー
歩きながら考える、逍遥学派。歩くのはいいことですよ、歩いているうちに頭がすっきりして、心が澄んできて……
それは他の人の場合だ。私はというと。歩きながら過去のいやあな思い出ばかりがあれやこれやドみそどしらそふぁと浮かんできて、いらいらがどうしようもなく生産されて、今更変えることの出来ないことをうじうじと考え始めて。
この悪い癖、というか性格を改善しないと、人生ますます暗くなる。どうすりゃいいのさ、下り坂。べーパーロック現象。
十一月号が来た
英語雑誌の十一月号が届いた。なんだかんだ、神田古書街、言っても新しい号を開くのは楽しいな、ルンルン。神田古書街と言えば、むかあし、東京時代か埼玉時代か、神田の古書店で、『難読誤読蘊蓄字典』を見つけて、買ったのさ。それがどこかにいってしまってがっかりしていたのさ。そうしたら二、三日前、山の中腹に隠れていたのを見つけ出したのだった。
いやあ、ハッピーニューイヤー、もういくつ寝るとお正月だ、良かった、良かった。漢字が読めない首相よりは読める人になりたいものね。比較する人の程度が低すぎるってか。
そうだった、雑誌のことだった。気を取り直して学習だ。
なんだか急に『時刻表』(鉄道の)が読みたくなったな。最近、電車に乗る機会が殆どないものな。懐かしい、西武新宿線。武蔵野線。せめて誌上の旅へ。今日、夕食の買い物に行くとき忘れていなければ、近くのコンビニで買ってこよう、時刻表。街の本屋さんがなくなってしまって。まあ駅前の大きな書店は遠いし、それとも明日、ジュンク堂に行くか、どうしよう。